昨日も長電話のせいで4時に寝て、今日起きたのは13:30。連日の長電話は体に来る。
それだけではない。技術研修で社内ツール開発がスタートして2日目だが、コミュニケーションの問題が発生しており、チームの中で最もバランス能力がマシな俺はいい感じでこのチームをまとめないと、二進も三進も行かなくなりそうだということが、2日目にしてはっきりした。
正直、俺も技術的な側面で色々心配があるから、あんまりコミュニケーションで消耗したくないのだが。。。
色々な都合により、GWまでには実装を一通り完了させたいので、相当に気合を入れて頑張るしかない。とにかく、技術的なキャッチアップのためにも、同じ技術スタックで何らかのアプリケーションを一つ作ろうと思う。
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新卒研修でおすすめされたソフトウェアアーキテクチャの基礎を一通り読んだ。といっても、レイヤードアーキテクチャを除いたアーキテクチャパターンについては読み飛ばしたので、実際に読んだのは半分の200ページくらい。技術研修ではおそらく、プレゼンテーション、サービス、レイヤードアーキテクチャ(コントローラー-サービス-リポジトリ-モデル)のような感じで実装する予定ではある。
以下、印象に残った考えを抜粋
アーキテクチャはトレードオフなので、最善を追求するのではなく、最悪を避けることが重要。
ドメインの関心事から考える。Betterアーキテクチャは、あくまでも文脈依存(電子書籍の購入アプリと、金融機関の基幹システムでは、適したアーキテクチャは異なる)
アーキテクトに求められる技術力は、深さよりも広さ
20分ルール:アーキテクトは、多忙な中でも一日20分、未知の技術について学ぶべき
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東急池上線の五反田駅は、TOKYUスクエア五反田の4Fと直結している。なぜ、五反田駅はこれだけ高いところに作られたのか?
元々、池上線は1917年に併合前の池上電鉄によって、当初は池上本門寺や洗足池への観光客輸送が目的に設立されたものであった。計画としては、目黒〜大森間であったが、用地買収が難航したため、支線として蒲田ー池上間の工事を行い、開通させた。一方で、当初予定の目黒ー大森間の工事は遅々として進まず、1923年に雪ヶ谷駅に到達するも、同年池上電鉄は東京川崎財閥の傘下に入った。一方で、同年の1923年に東急の前進である目黒蒲田電鉄が先んじて目黒ー蒲田線(目蒲線)を開通させたため、池上電鉄は当初の計画を捨てて、現JR山手線の五反田駅を目指すことにした。
五反田駅を目指すにあたって苦労したのが大崎広小路から五反田への工事で、この区間は住宅地が密集しており、高架線を引く必要があったことと、当時、池上線は山手線を越えて東側への延伸を考えていた(これは目黒駅に接続できないことにより、池上線自体の輸送力をその分上げる必要があると判断されてのことだった)。しかしながら、最終的にその計画はなされず、結果として、山手線を越えるための高いホームだけが残されたらしい。